労働讃歌は社畜の讃歌

元:インドなきインド人

2016年12月14日(具体化の難しさと情報の捉え方)

おっす、おら社畜

「来年中国な!」って言われてから結構たつけど未だに具体的な日にちとか言い渡されてないよ!それよりも、「プロジェクト始まったちょっとの期間」とかいうクソ具体性も計画性もない話なんてナシだぜ!

 

そもそも12月いっぱいやることがぼんやりしているし、PM(プロジェクトマネージャー)の指示もなんだか具体性がない。

 

そもそも、この具体性ってなんだろうか???

よく、「具体的には~◯◯で~」みたいな話や人の文章で目にするけどイマイチ具体性にかける。かく言う私も3年目のときに、上司からオマエの文章は具体性がないって散々いわれた。

 

さて、この具体性についての定義だけど。

大辞林(第三版)にはいかのように書かれている。

形や内容などがはっきりしていること。具体的であること。 

あまり考えすぎるとトートロジー(循環論)の陥る のでやめよう。

ワタシ的に具体性とは情報量の多さだと思う。

 

たとえば、「◯◯は美味しい。すごくうめえ!」これは具体性が有るだろうか?

ほぼ無い。

 

 國分先生が以下の本で良いことを言っている。

ファストフードは素早く食べられるのだろうか?

それは食事に含まれている情報が少ないからである。

(P84 15行目らへん)

民主主義を直感するために (犀の教室)

民主主義を直感するために (犀の教室)

 

 

マクドナルドを代表としたファストフードは単純な味付けで、

「うんまぁ、まずくはない」といった程度だろう。

しかし、銀座で食べ口にできる手の込んだ料理の数々はフクザツに入り組んだ味付けで咀嚼を繰り返せば繰り返すほどその”あじ”が出て来る。

この”あじ”はなんだ?とか、この料理ならこの酒が間に合いそうだとかいろいろ考えが出て来る。いわゆる高い料理は情報が多いし、分析できる。

 

この分析。

高い料理を食べても「うまい」しか言えないというころは、そもそも味を分析するための経験や舌が慣れていないからである。

 

仕事においても、「◯◯を成功させるためには?」という問に具体的に答えるためには、対象となるものの分析が必要。レベルが上がれば上がるほど、この分析のレベルが上がっていき知識以上に、物事の起承転結を考え抜ける経験値がものを言うはずである。

 

よく、会社は3年間辞めずに耐えろというのはこういった経験をつみ仕事を分析する力を養うためなのかもしれない。

 

さて、具体的という話に戻ると、

”まずは物事をしっかりと観察し、分析することが大切で、その情報をしっかりととらえること”とココでは結論づけよう。

 

そんなことよりこのウイスキーうまいよ。